2014
07.22

For You Blue

THE BEATLES

ビートルズ12枚目の本国でのオリジナルアルバム、そして最後のアルバムとなった『Let it be』の11曲目に収録されているナンバー。1970年5月8日に発売されているこのアルバムですが、録音は前アルバム『アビイ・ロード』より以前にに行われています。作者であるジョージがリード・ヴォーカルを取っています。

Let it be■使用楽器
Piano (Paul)
Fender Lap Steel Guitar (John)
Gibson J-200 (George)
Ludwig (Ringo)
■Recording Data

録音されたのは1969年1月25日。サヴィル・ロウのアップルスタジオでのセッション。この時点での仮題は『George’s Blues』……ジョージらしく曲のタイトルがなかなか決まらなかったらしい。ジョンがスライド・ギター、ポールがピアノ、ジョージが5フレットにカポタストを付けたアコースティック・ギター、リンゴのドラムという編成で数テイク録音された様です。

この日の第6テイクが未発表のアルバムである『Get Back』に収録されました。(このバージョンはイントロのギターを失敗して、『やり直しをしているもの』で……演奏は『Let it be』収録と同じものです。)

~アルバム発売までの経緯~

1968年10月に『The Beatles』(通称:ホワイト・アルバム)のセッションが終了。マネージャーだったブライアン・エプスタインの死後、船頭を失ったビートルズはアップルの設立など、無茶じゃないか?とも思える数多くの試みを行ってきました。華々しく見えていたビートルズの前途であったが、内部はすでに崩壊状態……バラバラの状態だったのです。

当時……グループを引っ張って行く立場にあったポールはある提案をします。混沌とする活動状況を打破する秘策として、ポールが打ち出した案は『原点回帰』というコンセプトでした。デビュー当時の様にオーバーダビングなしのライブで!アルバムを制作し、コンサートツアーを行う、という企画でした。しかしながら、アルバム制作に関しては了承を得たものの、他の3人(特にジョージ)はツアーには難色を示しました。『妥協案』として……「1度だけのコンサート」も企画されたが、この案も結局お流れとなってしまいました。

最終的に……リハーサルなどを含むドキュメンタリー番組を制作しテレビで放送する、という事で合意した4人は、1969年1月2日にトゥイッケナム・フィルム・スタジオに姿を見せ、リハーサルと撮影、録音を開始する。あの有名な……『Get Back(原点回帰) Session』の始まりです。

しかしながら、いつも撮影されているというプレッシャー、そして寒いだけの撮影スタジオという感の慣れぬ環境。張り切るポールは、あれやこれやとジョージに指示……。ジョージは、それに反発して口論となり、5ヶ月前にリンゴがそうしたように、1月10日にスタジオを飛び出してしまいます。数日後にジョージは復帰するが、テレビ番組に関しては意見を曲げようとせず、結局この企画はお流れとなってしまいます。

ビートルズは結局、トゥイッケナム・フィルム・スタジオでのリハーサルを中止し、自らが作ったアップル・スタジオに移動して、1969年1月22日からセッションを再開。ジョージは、この日たまたまアップルに居合わせたキーボード奏者、ビリー・プレストンをセッションに誘います。外面の良いジョンとポールに対して、外部の人間を引き入れるのは効果的だったようです。映像撮影、そして「オーバーダビングをやらない」というコンセプトのアルバム制作は続行されたものの……1969年1月30日のアップルビル屋上でのコンサート、そして翌日のスタジオセッションをもってセッションを中断することになります。所要総時間……90時間以上の撮影、そして録音テープを残したまま、ビートルズはアップルスタジオを去りました。

The Beatles
2月22日には「アビイ・ロード」に収録される『I Want You』の録音をトライデントスタジオで開始。そして3月の初旬、ジョンとポールはグリン・ジョーンズに1月のセッションテープからアルバムを作る事を依頼します。4月11日に、このセッションからのシングル『Get Back / Don’t Let Me Down』が先行して、まず発売されました。4月14日には、ジョンとポールが二人で「ジョンとヨーコのバラード」を録音し、5月30日に発売されました。

そして5月28日。グリン・ジョーンズはアルバム「ゲット・バック」を完成させる。このアルバムの為のフォトセッションも行われました。デビューアルバムと同じ場所、同じアングルでの写真撮影は、この時のメンバーの意気込みを感じさせましたが、このアルバムは発売延期の声明が出されます。しかしながら、その後に、北米のラジオ局用に作ったサンプル盤から、このアルバムの海賊盤が作成される事になります。

この後7月からはアルバム『Abbey Road』のセッションが本格化し、9月26日にアルバム『Abbey Road』が発売されます。アルバム『Get Back』の件に関しては、誰もが忘れかけていましたが、1月の撮影フィルムを映画にする事だけは決まっていたようです。

年が明けて1970年1月3日。あの悪夢のトゥイッケナムからちょうど1年後のこの日……ビートルズ(ジョンを除く)は、Abbey Roadに集まりました。正式な録音がなされていなかった『I Me Mine』の録音のためでした。これは、映画との整合性を図るために追加で行われたセッションでした。そして1月4日のセッションが、ビートルズとしての最後の録音セッションとなりました。

未だに「延期」としてアナウンスされているアルバム『Get Back』は、1月5日に収録曲を入れ替えて再度グリン・ジョーンズによって制作されます。3月6日には、ラスト・シングルとなった『Let it be』が発売されますが、アルバムは……結局発売されませんでした。

1月27日。アビイ・ロードスタジオで、ジョンは自己のソロ名義であるプラスティック・オノ・バンド3枚目のシングルにあたる「インスタント・カーマ」の録音を開始します。このレコーディングのプロデュースは、名プロデューサーであるフィル・スペクターでした。ジョージも、ギターでこのレコーディングに参加。二人は、フィルの仕事ぶりに大変感銘を受けたらしいです。そしてジョンとジョージは、『Get Back (になるはずだった……)』のマスターテープをフィル・スペクターに託します。「俺達と仕事がしたけりゃ、この膨大なクズテープをアルバムに仕上げてくれ。」と……。フィル・スペクターは、自分の持ち味であるオーケストラと女声コーラスなどを加えた「ウォール・オブ・サウンド」で処理を行いながら、アルバム『Let it be』として制作が開始されます。

ポールはこの決定を聞かされていないまま……自分の楽曲に、過剰なアレンジを施された事に激怒します。そして4月10日。デイリー・ミラー紙がポールのインタビューをスッパ抜きました。「今後ビートルズのメンバーと作曲することはない」(ソロアルバム「マッカートニー」の販促物より)…… 4月17日にこのソロアルバム『McCartney』は発売され、ジョンは「脱退宣言を自分のソロアルバムの宣伝に使った。」として、ポールを激しく批難します。

もはや、この時点でビートルズとしての活動は望むべくもない状態……。ラストアルバムとなった『Let it be』は、1970年5月8日に発売されました。ここに……4人の伝説、は幕を閉じたのです。

撮影されたフィルムは、映画『Let it be』として1970年5月20日に公開されました。バラバラになり内部崩壊しつつある4人の姿が、この映画にはありありと映し出されています。その後、ゲット・バック・セッションの膨大なテープは外部流出し、大量の海賊盤を生み出される結果となりました。

2003年には、リミックスアルバム「レット・イット・ビー…ネイキッド 」が発売された。これは「当初出すつもりだったオーバーダビングなどを含まないアルバム」としてのコンセプトのもと、現在のアビイ・ロード・スタジオのエンジニアが、当時のマスターテープから改めてリミックスしたものでです。ジョージ・マーティンやビートルズのメンバーはこのアルバムの制作には一切関わっていません。時折、『Let it be』のアルバムから音を取り除いた…………と表現される事がありますが、間違いです。実際に、異なるテイクを繋ぎ合わせたりの処理が成されていますし、アルバム『Let it be』に使用されたテイクとは、明らかに違う曲もあります。

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