2016
03.15

内田裕也、矢沢永吉を“ボコボコ”伝説の真相明かす

2ch まとめ, NEWS

1:2016/03/12(土) 14:21:50.26 ID:

ロック歌手の内田裕也(76)が、矢沢永吉(66)との間に噂される過去の“大ゲンカ”の真相を明かした。 

「内田が矢沢をボコボコにした」などといううわさ話はかねてよりファンの間で都市伝説のように語り継がれている。内田は11日放送のフジテレビ系「ダウンタウンなう」にゲスト出演した際にその真相を尋ねられた。 



内田は、矢沢のバンド「キャロル」がまだ駆け出しの頃に、人を介して「会いたい」と伝えてきた矢沢らと会うことになったという。矢沢からは「僕らを男にしてください」とどうやらプロデュースの依頼があったようだ。しかしその後、キャロルは別の人物とタッグを組むことに。 

内田は「冗談じゃねぇよ、お前らが『ヨロシク』って来たんだろ」と怒り、矢沢を殴ってやろうと焼肉屋に呼びつけたという。しかし矢沢は内田の前で正座し「自分が悪いので、1発もらえますか」と殴られる覚悟で詫びを入れたそうだ。その姿に内田は「ここで『負けた』と思ったね。『こいつイケるな、大スターになるな』って」と振り返った。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160312-00000079-nksports-ent 
日刊スポーツ 3月12日(土)13時59分配信 

内田 裕也(うちだ ゆうや、1939年11月17日 – )は、日本のミュージシャン、俳優である。本名、内田 雄也(読み同じ)。



夫人は女優の樹木希林。娘は内田也哉子。また、内田也哉子と結婚した本木雅弘は娘婿に当たる。身長174cm。

 
兵庫県西宮市出身。1959年に日劇ウエスタンカーニバルにて本格的なデビューを果たす。以降、グループ・サウンズ・「内田裕也とザ・フラワーズ」のヴォーカリスト、フラワー・トラベリン・バンドのプロデュース活動などを経て、1970年代後半からは俳優としても活躍し、映画出演や監督なども手掛ける。また、映画『コミック雑誌なんかいらない!』や『エロティックな関係』などでは脚本も担当した。口癖は「ロックンロール」(Rock’n Roll)。

1958年、自身がバンドマスターのブルージーン・バップスを結成。メンバーには美川鯛二(現・中村泰士)、北原謙二などがいた。



1959年、大手芸能事務所である渡辺プロダクションに所属し、同年に日劇ウエスタンカーニバルへ初出場する。
 
1960年、かまやつひろしなどとサンダーバードへ参加するが、ジャズ志向が強いバンドであったため脱退し、山下敬二郎とレッド・コースターズ、田川譲二とダブル・ビーツなどのバンドを渡り歩く。

1962年、寺内タケシとブルージーンズにヴォーカリストとして参加する。

1960年代中頃から、ベンチャーズやビートルズの影響により、ロック色を強めた活動に転換していく。
自身の自虐ネタにもなっている位にヒット曲といえるものもないが、1960年代末から1970年代初めにかけて、日本のロックシーンをリードする存在であった。現在も安岡力也、ジョー山中、白竜、宇崎竜童などとの活動を通じて、日本のロックの首領(ドン)(関西では「関西のロック界の首領(ドン)」と称される)とされているが、実態はほとんどない

1973年、初のソロアルバム『ロックンロール放送局(Y.U.Y.A 1815KC ROCK’N ROLL BROADCASTING STATION)』を発表。10月には悠木千帆(現・樹木希林)と結婚。12月には年越しロックイベント「フラッシュ・コンサート」を開催する。



シンガーでありながら1985年に発売した「アニー FOR A CHEEK TIME(Annie For A Cheek Time)」以来シングル盤を発表していなかったが、2014年6月11日に29年ぶりにシングル盤としてエイベックスから「シェキナベイベー」を指原莉乃(HKT48)とのコラボレーション・デュエットという形で発売した
 



短気で有名であり、フラワー・トラベリン・バンドの頃、日比谷野外音楽堂でのライヴ中に演奏ミスをしたメンバー(ドラム)を椅子からステージ下へ蹴り落とすなどの姿も見られた。加えて、音楽に関しても厳しく、ルー・リードに「日本人をナメるな」と啖呵を切ったり、「鏡に映った自分の顔が笑っていた」のに腹が立って鏡張りのホテルの部屋を破壊して拳を血まみれにするなど、その類のエピソードには事欠かない。

自身も過去に大麻所持で逮捕された経験があるが、「覚醒剤だけは駄目」と多方面で述べている。

wiki
 
矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 – )は、広島県広島市南区仁保出身のロックミュージシャン。身長180cm、血液型はB型。




妻は米国人とのハーフで、1女2男の父親でもある。また、娘の矢沢洋子は歌手である。




ファンが熱狂的であることで知られている。2006年には、NHKスペシャルにて矢沢本人ではなくファンにスポットを当てた番組が放映された


1972年ロックバンドキャロルを結成。1975年解散


 
1975年CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント )に移籍後、ソロデビュー


ほぼ全曲にわたる作曲、及び数曲における作詞を手掛ける。クールス「紫のハイウェイ」など他のアーティストには「五大洋光」名義で楽曲を提供したこともある。


主に矢沢の音楽活動は、キャロル時代から現在まで、歌番組への出演は極力控え、ライブ・パフォーマンスに重点を置く姿勢を貫いている。毎年欠かさず全国ツアーを行い、大都市圏のアリーナ、スタジアム会場だけでなく、地方都市の市民会館などにも訪れ、観衆と正面で向かい合い、そのステージ技量を見せ付けている


近年は大人の切ない世界観を渋く重厚に歌い上げ、自分自身の音楽性をクラシックロックとして、芸域を拡大し、新たな市場を開拓していった。巻き舌でコブシを利かせた歌い方は、一部には「演歌ロック」との評価もあった。


wiki

10:2016/03/12(土) 14:29:36.58 ID:

ミッキー・カーチスと組んだんだっけ?
15:2016/03/12(土) 14:30:58.51 ID:

ところでこの人の売れた曲って何があるの?
聴いてみたいな
23:2016/03/12(土) 14:34:46.96 ID:

内田裕也さん、プロデュースできるの?w
30:2016/03/12(土) 14:37:43.82 ID:

>>23
プロデュースにかけては超一流
48:2016/03/12(土) 14:46:51.56 ID:

>>22
裕也さんは見る目や聞く耳は優れてたが歌や演奏や作曲の才能がなかったのが欠点
82:2016/03/12(土) 15:02:33.80 ID:

どうも、矢沢です。昔、キャロルで矢沢が日比谷でワオワオやってたころにさ、
あの、なんていうのスライム?それが流行ってたわけ。
楽屋でさジョニーなんかとスライム欲しいよね、つってたらボーヤが気を利かせて
「買ってきましょうか」っていうわけ。
「おおサンキュ」つって買いにいかせたら街中売り切れだったみたいでさ
「すいません、コンニャクで代わりで」ってそいつ、こんにゃく買ってきたわけよ。
しょうがないから代わりにこれで遊ぶかあ、と思ってさ、
オレやジョニーでこんにゃく顔に乗っけたり、ぶつけ合ったりしてね遊んでたんだ。

そしたらさ。ムッシュっていうの?かまやつがバーンと楽屋入ってきてさ
「おまえら何してんの?」。オレ「いやあ、かまやつさんコレだよ噂のスライム!」。
オレ、まだ駆け出しだったし、向こうはもうビッグネームでしょ?「はあ?」みたいな感じ。
「おまえ、矢沢、これはこんにゃくだろ?」って。ちぎって床に捨てた。
オレはそれを黙ってみてたね。しばくしてムッシュが帰ってさ。
そしたららジョニーがそのちぎられたこんにゃく持って震えてんのよ。
「エーちゃん、これ弁償モンだよ!」って。「こんにゃく弁償してもらうべ!」ってさあ。
それ聞いてオレ、今度はこっちからムッシュの楽屋行ったわけ。
「あのさっきのこんにゃくだけど、絶対そのうち弁償してもらいますんで」。バッキリいってきた。

それから、1週間くらい後かな、モノホンのスライムが届いたよ。ムッシュから。
そのとき思ったね。「ああ、これがスーパースターのやることだな」って。
その日のステージはスライムでリーゼントにしたよ。
途中で汗すって粘液になってたーらたーらいと引いて落ちてくんのよ。
たまたま来日してたH.R.ギーガーがそれ見てエイリアン思いついたんだって。
これマジよ。エイリアンのあの頭、矢沢のリーゼントの形なんだって。へえ、と思ったね。

119:2016/03/12(土) 15:18:06.36 ID:

ヤクザの会合に出る内田

224:2016/03/12(土) 16:55:37.10 ID:

>>205


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